主張
戦後60年にあって、
先の大戦における戦争の惨禍を公的に調査する

恒久平和調査局設置に関するお願いと訴え
2005年9月1日
第44回衆議院議員総選挙で当選された 
国会議員の皆様へ

            戦争被害調査会法を実現する市民会議
            共同代表   西川 重則  西野瑠美子
            事務局長   川村 一之


 衆議院は今年の8月2日、「国連創設及びわが国の終戦・被爆六十周年に当たり、更なる国際平和の構築への貢献を誓約する決議」(第162回国会 決議第6号)を可決しました。
 決議は、日本が先の戦争によってアジア諸国に与えた苦難を反省し、日本国憲法の理念のもと、あらゆる戦争を回避する努力をするとしています。
私たちは、第44回衆議院議員総選挙で当選された国会議員の皆様が、衆議院決議に対する評価の相違はあるにせよ、その目的とするところの「平和への決意」を実現することを国の基本にしていただきたいと念願しております。
 さらに、私たちは先の大戦における戦争の惨禍を公的に調査する恒久平和調査局が一日も早く設置されるよう、心から願っています。
 国立国会図書館法の一部改正による恒久平和調査局を設置する法律案は1999年8月に初めて衆議院に提出されました。その後、継続審議と廃案をくり返しましたが、戦後60年の節目にあたる2005年に、私たちはどうしてもこの法案を成立していただきたいと念願して参りました。しかし、去る8月8日の衆議院解散によって三度廃案となり、第162回国会成立の願いは叶いませんでした。
 私たちは恒久平和調査局設置法案を提案されている超党派の「恒久平和のために真相究明法の成立を目指す議員連盟」の方々と協力し、今日に至っています。そして、新しく選出された国会議員の皆様にご理解を賜りたくお願いと訴えをさせていただきました。
 去る9月11日の総選挙によって、政治状況は大きく変わりました。しかし、私たちが超党派の議員連盟に協力し、恒久平和調査局の設置を要望しているのは、政治動向に左右されることなく、先の大戦における戦争の惨禍を公正な立場から調査することが必要であると思っているからです。
 戦後60年を経過した今も、先の戦争による傷跡は癒されていません。日本国憲法の前文にある「再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」ためにも、まず、事実が明らかにされなければなりません。
 その実現のために特にお願いしたいことは、多くの国会議員が所属されている政党の枠を越え、超党派の立場で、歴史認識の違いを超え、歴史の事実を公的に調査するとの一点で合意されるようご努力をいただくことだと思っています。
恒久平和調査局設置法案の提案理由には、大戦の惨禍の実態を明らかにすることにより、その実態を次代に伝え、アジア地域の諸国民との信頼醸成を図り、「もつて我が国の国際社会における名誉ある地位」を保持するとされています。
 本当の意味で、戦後60年にふさわしい未来志向の新しい政治に向け、過去にあった歴史の事実を明らかにし、恒久平和の実現に資するよう尽力されることを重ねてお願いし、私達の心からの訴えをさせていただきます。


主張
恒久平和調査局設置法案の
戦後60年通常国会での成立のために
市民会議共同代表 西川重則


 今年は日本にとって、殊の外意義深い年であると言えよう。長期にわたって戦争の惨禍を体験した日本人にとって、また戦争の被害を受けたアジア太平洋地域の国々・人々にとって、戦後60年という年は、一つの大きな区切り・節目を意味する年である。

 そのような年である2005年にあって、私たちは、今年こそ、「恒久平和のために真相究明法の成立を目指す議員連盟」による「恒久平和調査局設置法案(国立国会図書館法の一部を改正する法律案 第159回国会提出・衆法第51号)」の成立をと心から願っている。

 言うまでもなく、「法案」の名称が示唆しているとおり、恒久平和の実現をめざすために不可欠・不可避の過去の事実の真相究明にかかわる重要な法案である。国家による公的調査は、21世紀の現在、世界的潮流になっているが、日本にとって、公的調査はまさに緊急かつ重要であることは、日本およびアジア太平洋地域の国々・人々の現状を直視すれば自明と言わねばならない。戦後60年という年は、日本の敗戦の年(1945年)に生まれた人が60歳になったということである。

 それは、個人にとっても国家にとっても、過去に歩んだ歴史の跡、歴史の事実を確認し、未来に希望を持って新たな第一歩を踏み出す年であらねばならないことを意味する。

 さて、そんな思いを抱く私は、戦後にあって調査を示唆する出来事が多くあったことに気づかされている。それらの一部を挙げれば、次の通りである。

‘91/12/5 「恒久の平和確立等に関する決議案」(「読売新聞に報じられた自民党の決議案」宮沢内閣発足直後の時。

‘93/8/4 河野洋平内閣官房長官談話「歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視してゆきたい」宮沢内閣の時。 

 こうした経過の後、注目すべき国会での出来事が起こった。

‘94/5/16 浜本万三社会党参議院議員による参議院代表質問「来年の戦後50年を前に国会決議とともに内閣に『戦後50年問題調査会』を設置して調査すべきだ」。

 羽田孜首相答弁「『戦後50年問題調査会』は歴史を正しく客観的にとらえる意味で評価できるし、検討も大事だ」。

 その後、村山富市首相が94年8月31日、戦後50年を前にして談話を発表し、95年6月9日の「戦後50年国会決議」、95年8月15日の「植民地支配と侵略」につきアジア諸国にお詫びを表明するいわゆる村山談話に至った。続いて、河野洋平前外務大臣の次の発言となった。

‘97/3/31 「軍隊慰安婦」の「募集、移送、管理などの過程で本人たちの意思に反した『強制性』があったとする政府見解の正当性を強調」した(「朝日新聞」のインタビュー)。第二次橋本内閣の時。



そして、99年から04年にかけて、より顕著な動向がみられる。たとえば、

   ‘99/1/22 参議院本会議での浜四津敏子公明党代表質問「日本が過去に行ったすべての戦争に関する公文書その他の資料を保存し、公開する仮称「平和資料館」の設置をすべき」。「第二次世界大戦における我が国の行為について客観的な事実の調査をするための委員会の設置を」。小渕内閣の時。

   ‘02/4/16 「恒久平和国際フォーラム」開催に際し、石毛^子衆議院議員(民主党)・国際フォーラム呼びかけ人「平和の世紀に名実ともに実現していくためには、何よりも私どもが過去に犯しました史実につきまして明らかにしていく共通の認識をもって、そこから友好を深めていくスタートにするということが大切だと考えております」。 第一次小泉内閣の時。 

   ‘04/1/19 小泉純一郎首相の施政方針演説「政府の活動の記録や歴史の事実を後世に伝えるため、公文書館における適切な保存や利用のための体制整備を図ります」。

 上記の流れをまとめると、次のように結論づけられる。それは、私たちの心からの願いである戦後60年の通常国会での「恒久平和調査局設置法案」の成立のためには、冒頭の代表質問や予算委員会において、国家的・公的機関による歴史事実の調査の必要性を強く訴えていただきたいということである。戦後日本を総括しつつ、アジア外交の新しい展開のためにも、歴史の事実に基づく歴史認識の共有が不可避の要件として存在するからである。

 政治状況の厳しさを直視しつつも、なお一歩進めて所期の目的達成のために、来たる通常国会の会期の閉会に至るまで、あらゆる機会をとらえて訴えるにふさわしい秋(とき)とすべきではないだろうか。なお、ここでそれぞれは重要であることを前提に確認しておきたいことを補足すれば、次の通りである。

 1.戦後補償と調査会法・恒久平和調査局設置法案との関係と区別を明確に。

 2.国立公文書館との関係と区別も同様に明確にすべきこと。

 3.アメリカの成功の秘訣は、議会対策と法廷での歴史の事実にかかわる証言なども重視し、相互の協力を密にすることにあった。

 4.「恒久平和調査局設置法案」の成立のために、超党派による協力関係の重要性の再確認。歴史事実の調査  であって、歴史観やイデオロギー、政党の政策の相違などに左右されることは厳に慎むべき。法案の成立によって、初めて所期の目的である恒久平和のための公的調査・公開が始まるとの認識を共有すべきなど。