「戦争の事実をしっかり把握し、
政府が検証するところに意味がある」


民主党元代表 岡田克也さんに聞く

                                                               2006年5月18日 国会事務所にて
岡田克也さんは2006年2月、衆議院予算委員会において、「ポスト小泉」候補と目される麻生太郎外務大臣と安倍晋三官房長官に先の大戦に関する戦争観とその責任の所在、そして政府として検証することの必要性について質問されました。岡田さんに取材を申し込んだところ、快く引き受けていただき、質問の意味するところを率直に語っていただきました。
 


<戦後60年に議論するチャンスがなかった>

― 今日はインタビューの時間を割いていただいてありがとうございます。最初に岡田さんは戦後60年を過ぎた今、どのような思いから、かつての戦争に対する歴史認識の問題を取り上げたのですか。

岡田 戦後60年(2005年)は一つの区切りの年でした。国会の中できちんと豊かな議論をしたいと実は思っていたんです。戦後50年の時には村山談話が出ましたが、あれは村山さんという社会党出身の総理がその思いを述べられたということで、必ずしもその思いが政治家の中で共有されていたのではなかったわけですね。戦後60年になって、国会としての見解を出したい、また総理としての見解を小泉さんに出してもらいたいと思いました。
ところが突然の解散になりましてね。党首討論を含めてそういうチャンスがなかったわけです。8月15日に小泉総理が出された談話を私はそれなりに評価しています。ただそれも議論を経ず、村山談話を踏襲したに過ぎません。一度国会できちんと議論をしたいという考えを持っていました。次の総理を目指しているとされるお二人。谷垣さんもおられたので、その三人の方にきちんとメッセージとして伝えてもらいたいと思っていました。

― 衆議院では戦後60年に当たっての決議がなされていますが。

岡田 あれも中途半端なものですね。妥協の産物というか。村山談話と比べても、むしろ後ろにさがったような印象も与えかねないものだったと思います。


<大臣だから小泉談話と矛盾することはいえない>

― 岡田さんは麻生さんと安倍さんに、かつての戦争は「自存自衛の戦争」だったと考えるか否かという質問をされましたが、二人とも見解をはぐらかしていた印象を受けました。

岡田 麻生さんは侵略の部分があるといったんですね。ですから、部分という言い方ではなくて、全体としてどうかということについて聞いたわけです。自存自衛の戦争であったとはいわなかったんですが、しかし、そうでなかったという言い方もしていない。きわめて曖昧で口を濁したような言い方でした。二人とも閣僚ですから、8月15日の小泉さんの出した談話と矛盾することはいえないから、やむをえず口を濁しているというニュアンスが強い答弁でした。大臣でなかったら、自存自衛の戦争だったといったかもしれませんね。あの時の雰囲気は。


<歴史の総括をしていないから問題を生む>

― 岡田さんは「あの戦争は悲惨だし、極めて愚かな戦争だった」として、「同じ過ちを繰り返さないために政府として検証する必要がある」と主張されています。麻生さんと安倍さんは、「政府として検証することは考えていない」と答弁しました。歴史認識は別として、歴史を検証する必要があるか、ないかが大きな違いですね。

岡田 彼等は学者、歴史家に任せるべきという言い方をしましたね。これは、かつて大平総理がそういう表現をされたとされるわけですが、一国の総理になればきちんと自らの見解を述べるべきだと思いますね。歴史に任せていい問題ではない。そして、総括をしていないということが、いろんな問題を生んでいると思うんです。彼等はA級戦犯の東京裁判に対しても疑問を投げかけるわけです。自らきちんと総括をしていれば東京裁判に対しても批判することは当然あっていいと思いますが、総括なしで東京裁判を否定してしまいますと、それは巨大な無責任な空洞になってしまいます。つまり、あれだけ悲惨で、多くの内外の命を奪った戦争について誰も責任を負わないということになるわけです。そういう意味で私は戦後60年のくぎりのなかで政府自ら検証する。いまさら、裁判の繰り返しは出来ませんが、すでに多くの方も亡くなっているわけですが、どこでどう間違ったか、そういうことをきちんとするべきだと思っています。


<東京裁判ではなく、日本自身が裁くべきであった>

― これは昨年9月の読売新聞ですが。「戦争責任とは」という特集をやっています。日本政府は1945年10月30日 の閣議で「敗戦ノ原因及実相調査ノ件」を決定し、「敗戦の原因と実相を明らかにし、将来に過誤を繰り返さないよう徹底的に調査する」としていました。また、衆議院は同年12月1日 の本会議で「戰爭責任に關する決議案」を賛成多数で議決し、「敗戦の原因を明らかにし、その責任の所在を糾し、将来における不祥事の再発を杜絶する」としていました。閣議決定や国会決議があるにも関わらず、総括は行われず、そのままになってしまいました。

岡田 当時の時代状況としては、天皇の戦争責任という議論があって、これを回避しようとした。暗黙の了解があった。もう一つは朝鮮戦争、東西冷戦に伴うアメリカの方針転換という中で閣議決定や衆院決議などを履行できなかった。経済界などは追放があったり、財閥解体があったりしましたが、政治指導者は戦前からかなりつながってますから、ちょうどいいことだったんですね。そういう中で、敗戦の原因究明の気運が消滅してしまったと言えるんじゃないでしょうか。

― 翌年に始まる東京裁判も影響しているのでは。

岡田 東京裁判で満足するなら、それでいいわけです。しかし、東京裁判は問題があるというのであれば、考え直すべきでしょうね。私自身も東京裁判が全く問題がなかったと言っているわけではなくて、やはり、裁判の構成や手続きで問題があった。また、勝者が敗者を裁いたという面もあったと思います。本来であれば日本自身が裁くべき。東京裁判の後でもいいから、裁くべきであったと思います。


<断罪するだけでは教訓にならない>

― 幣原さんが閣議決定を受けて、戦争の総括をしようとしたんですが、挫折してしまった。そして、吉田内閣になって外務省が満州事変以降の外交政策の過ちを認める「極秘 日本外交の過誤」(1951年4月10日)をまとめていました。この文書が2003年に明らかになりました。

岡田 「日本外交の過誤」というのは外務省の課長クラスでまとめたものですね。外務省として正式に決定したものではなくて、調査したことの集大成であったわけですね。

― ここでは満州国独立から国際連盟脱退、日独伊三国条約、そして、日米交渉、終戦外交にいたるまで、「過誤の連続であった」とはっきり述べています。日独伊三国条約締結は「百害あって一利なし」とまで言っています。

岡田 私の読んだときの率直な感想は、あとで断罪することは簡単ですが、曲がりなりにも当時非常に優れているとされた人たちが、いろいろ試行錯誤した結果の判断でもあったと思うんですね。ですから、当時の状況において、もう少し掘り下げてなぜ失敗したかということを考えないと、あとから断罪するだけでは私は教訓にならないのではないかと思います。
戦争犯罪者、軍国主義者がみんな集まって悪いことをしたというような単純なことではなくて、当時としてはそれなりに考えた末での判断でもあったと思います。だからこそ、より根が深いとも言えます。


<石橋湛山さんの「小日本主義」論は新鮮な驚き>

― 関連して、岡田さんは質問の中で石橋湛山さんの「小日本主義」を取り上げています。この考え方は高く評価できるのではないかと思いますが。

岡田 石橋さんが「小日本主義」論を唱えた当時、彼はジャーナリストだったわけですが、第一次大戦後のかなり早い段階で論じてますよね。当時は帝国主義の時代ですから、ある意味では日本として当然のように朝鮮併合とか考えたんでしょうが、違う選択肢を明確に示した人がいるというのは非常に新鮮な驚きでした。


<経済同友会への小泉さんのコメントは大変失礼>

― 石橋さんは経済誌の主筆で優れた経済分析にたって、満州を放棄して、台湾・朝鮮に自由をもたらせば日本はアジアから尊敬される国になると説きました。
 この石橋さんと小泉さんは対極にあるような気がします。たとえば、経済同友会が4月に日中関係を憂慮して、靖国神社参拝自粛などの提言を行いましたが、小泉さんは「商売と政治は別」というコメントをしていました。

岡田 小泉さんの政策が当時の帝国主義と相通ずるものがあると私はそこまでは思いませんが、今回の発言に怒りを覚えているんです。経済同友会は採決をして決めたんですね。北城恪太郎代表幹事は覚悟して言ったと思うんです。経済人の中には、中国に関する発言に関して実弾を自宅に送られたり、大変情けないことですが、そういう嫌がらせを受けている人もいるわけですね。そういうなかでの発言ですから、覚悟して北城さんが言われたと思うんです。
一部のメディア、新聞では北城さんが謝ったように書いていますが、僕は事実に反すると思います。
その覚悟をして国を思って発言したにもかかわらず、自分の目先の利害でものを言っているんだろうというような発言は大変失礼だし、一国の総理大臣である人が言ってはいけない言葉だと思います。
まあ、確かに靖国の問題を外国から言われて行く、行かないという問題ではないと思います。これは私も国会で何度か言っています。自分自身で判断する問題だというふうに思いますね。やはり、総理は一国のリーダーなんですから、よくご自身で考えていただきたいと思います。それは次のリーダーも同じです。


<政府が戦争の検証を行うところに意味がある>

― 私たちの市民会議は岡田さんも参加されている恒久平和議員連盟と一緒になって、歴史の事実を明らかにする恒久平和調査局を国会図書館に設置する活動をしています。当時の一次資料を公開することは歴史を検証する第一歩になると思っています。

岡田 今、読売新聞と朝日新聞などのメディアでも検証する特集をしていますが、政府が行うところに意味があるわけです。おっしゃるようにまず事実をしっかり把握するということですから、情報公開ですね。これは戦争だけに限らず、日本の政府が持っている情報に関しても秘密主義というか。たとえば、韓国では(日韓条約交渉記録など)既に情報公開されていますが、日本では未だ公開されていない。そこの根本の問題に戻ると思います。まず、戦争については60年たったわけですから全て出すということですね。その上で、残念ながらもう、その時に枢要な立場にあった人たちはご高齢になられたり、亡くなられておられますが、第三者、学者を中心に審議会、検討会議などを政府内に設けて検討してもらうということになろうかと思います。


<情報公開が進めば誤解が解ける>

― アメリカや韓国では情報公開が進んでいますし、日本と中国、ロシアが情報公開を進めれば一次資料をもとに共通の理解が拡がると思います。

岡田 情報公開が進めば、お互いがどこを誤解していたかがわかりますよね。

― 情報公開を推進することが一番重要ではないでしょうか。

岡田 その通りだと思います。

― 最後に大変重要な問題提起をされたので反響も大きかったと思いますがいかがでしたか。そして、ぜひ政権を担って歴史の検証に取り組んでいただきたいと思います。

岡田 メディアでとりあげてもらったことがありますが、政府与党サイドからはほとんど反応がないですね。総理候補と言われる人たちの認識が小泉総理より更に後ろにさがっているのではないだろうかと思います。小泉さんは「やってはいけない戦争だった」といってますからね。そこは残念ながら、麻生さんや安倍さんのほうが後退していると思います。

― もう一人の候補である福田康夫さんはいかがですか。

岡田 私は福田さんの戦争観は聞いたことがありません。率直にいってわかりません。ただ、アジア外交という事については、彼は非常に私と近い考え方を基本的にお持ちだと思います。

― 福田さんは官房長官時代、国立公文書館問題に関心が高く、歴史資料の保存に取り組まれました。

岡田 公文書の保存は、次の世代に対して責任を果すことですからね。将来、情報公開されるということでいい加減なことはできないとうこともありますから。

― 文書基本法の提言もされていて、アメリカの記録管理を見習うことも必要ではないかと思いますが。

岡田 (公文書の管理は)民主主義の基本だと思いますよ。政府が後ろ向きというのはどういうことなんでしょうか。昔のお上意識と変わっていないですね。しっかり進めていただきたいと思います。

― きょうは、本当にありがとうございました。


インタビューを終えて  川村一之

 岡田さんの質疑を会議録で読み、入念に準備した上での質問に感動を覚えるものがあった。早速、資料を携えて議員会館の岡田事務所を訪ねたのは2月末のことだった。5月になり、秘書の方から電話があり、18日の日程が決まった。インタビューで心に残ったのは「あとから断罪するだけでは教訓にならない」という言葉だった。岡田さんが「当時としては考えた末での判断でもあった」と言われたとき、民主党の代表という重責を担った人の歴史に向き合う責任を感じた。



《資料》

■戦後60年の岡田談話「戦後60年の節目を越えて」(2005年8月12日)

先の大戦が終結して60年を迎えようとしています。あの戦争で犠牲となられた内外のすべての方々に対して心から哀悼の意を表します。ご遺族や多くの方々の忘れ得ぬ痛みを思うとき、国民の皆様とともに平和の大切さを改めて認識し、世界の平和の実現に向けて決意を新たにしたいと思います。
日本はかつて戦争への道を選び、悲惨な被爆経験をはじめ、国民に深刻な犠牲を強いたのみならず、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して植民地支配と侵略によって大きな損害と苦痛を与えました。この歴史の事実を謙虚に受け止め、戦後生まれの世代を含めて、率直な反省と謝罪の気持ちを決して忘れてはなりません。そして、なぜあの悲惨で愚かな戦争に至ったのか、どこで大きく間違えたのかについて、今こそ私たち自身がきちんと検証することが必要です。
今日までの60年間、国民の懸命な努力により、日本は平和主義を貫き、民主主義国家として定着する中で、世界有数の繁栄を実現してきました。東アジアをはじめ世界の国々の経済発展を支援し、平和の達成に貢献してきました。今後、21世紀のアジアを世界で最も平和で豊かな、そして民主的な地域にすることに一層の貢献が求められています。同時に、テロや核の拡散が深刻な問題となっていることや、世界各地でいまだに多くの争いがあり、その争いが原因となって罪なき人々が飢餓や病気に苦しみ、死に直面していることを忘れてはなりません。世界とアジアの平和実現に向けてさらに努力することは、日本の大切な役割であり責任です。
戦後60年という節目を越えて、私たちはいままで日本が成し遂げてきたことに対し自信と誇りを持ちながら、同時にその自信に裏付けられた謙虚さをもって、近隣諸国をはじめとする国々との相互の信頼関係を深めることが何よりも大切です。世界やアジアの平和と豊かさと民主主義に貢献するなかで日本の平和と豊かさを実現するという開かれた外交の大切さについて、国民の皆様とその認識を共有できることを心から期待して、私のメッセージとします。