東京生まれの在日コリアン3世 辛淑玉さんの講演
アメリカで考えた「日本社会」の人権感覚
日時:2008年3月18日 場所:衆議院第二議員会館
恒久平和のために真相究明法の成立を目指す議員連盟(鳩山由紀夫会長)は3月18日、世界人権宣言60周年にあたって、「人類の正義と平等」をどのように実現するのかという観点から公開ヒアリングを行いました。講師は東京生まれで在日コリアン3世の辛淑玉さん。<アメリカで考えた「日本社会」の人権感覚>と題して話をしていただきました。講演内容を掲載します。文責は編集部にあります。
■「多様性」がアメリカを強くする
こんにちは、辛淑玉(シン・スゴ)と申します。アメリカに行ってきたのは、世界をもっと多様な形で知らなきゃいけないし、国際的なネットワークも作らなきゃいけない、と思ったからです。そういう思いでアメリカに行きました。
一番印象に残っているのは、米兵へのインタビューです。私が行ったサンディエゴというところは、海軍基地がある所です。そこで、なぜ沖縄であれだけのひどいこと(女性への強姦や殺害)をアメリカの兵隊たちはやるのか、ということを聞きました。そうすると、「簡単だよ。アメリカではできないことをしたいんだよ」と言うわけです。そういった言葉を、毎日毎日聞いてくるわけです。そんなふうに、ダイレクトに当事者から聞いてくると、いろいろなことが見えてきました。
今日は、アメリカの中にある多様性というものがいかにアメリカという国家を強くしているか、といったことを、日本と比較しながら見ていきたいと思います。
さて、では本日の第1問から行きたいと思います。
Q.運転免許の筆記試験は何カ国語で受けられると思いますか?
A.6カ国語ぐらいでしょうか。
辛 私が取材した時、「何カ国語でできますか」と聞いたら、「は?」という顔をされたのね。「数えたことないわ」と言われたんです。「AからZまでの頭文字のつく国だったら、全部あるわよ」と言われたんですね。要するに、受けたい人には言語のハードルがないんです。
Q.では、筆記試験にどれぐらいの試験時間が与えられると思いますか?
A.40分。
辛 私が取材した試験場では、開いている時間はすべて使えます。日本のような時間制限はありません。例えば、ハンディのある人たちは、1行書くのに10分とか20分かかる。こういう人たちは、例えば2時間とか3時間かけて書くわけですね。つまり、早くできるということは問題じゃないんです。日本の場合は、ある種の規格化された中で、短い時間の中で出力する、吐き出す能力を求められますよね。
私は、日本の社会がごく当たり前だと思っているものは、実は能力というものをちゃんと測っていないし、チャンスは平等には来ていないな、と思うんです。平等というと、同じように試験をすることが平等というふうに考えるけれども、そうではないということを、向こうに行って痛切に感じました。
■それぞれの民族の歴史を教える
そこで、今からちょっと、オークランドにある公立の小学校の状況をご紹介したいと思います。
その小学校では白人の児童は約5%、他はアフロアメリカンや、メキシコなどの中南米系、そしてアジアのカンボジアや中国というように、多民族です。まあ、人種のるつぼみたいな形なんですね。それで先生は、こうやって扇子を持ったりお箸を持ったりして、いろいろな民族を紹介しています。
日本の小学校に行くと「廊下を走るな」とか書いてありますけれども、向こうは"Don't say I can't."(「できない」と言うのはやめよう)、つまり、「やればできる」と書いてあるわけです。やればできる、だから何でもやろうよ、って。
例えば、子どもたちに最初に読み書き、ABCを教えます。その読み書きを教える作文の授業では、「あなたたちの生活の中で、昨日家に帰ってから今日学校へ来るまでの間に見てきたことを書きなさい」と書かせるわけです。そうすると、「隣の家の子どもは学校に行ってません」とか、「お母さんはドラッグをやってます」とか、「ご飯を食べられませんでした」みたいなことが出てくるわけです。
そしたら今度は、それをもう1回きちんとした文章に直しましょう、でも、その文章はお手紙にしましょう、とやる。手紙は、地域の教育委員会に向けて書かせるわけです。そうすると、子どもたちは教育委員会に向かって、もしくは行政に向かって、その手紙を書くという訓練をします。そしてその手紙を実際に届けさせて、そしてそれが問題になって、地域の課題になり、そこで自分たちの町が変わっていく。国語の授業と、社会の授業と、いろいろな授業を合わせて、行動していくことを教えるんですね。
それで、私がいろいろ話を聞いていると、日本の公立学校ではちょっと聞けない回答がたくさん出てくるわけです。例えば、「数%しかいない白人の子どもたちに歴史を教える時に、困難はありませんか」と言うと、「加害の歴史をきちっと教えることが、人間として生きていく誇り、力となります」と言うのね。だから、コロンブスの大陸発見という日は、先住民族の虐殺の日、という形で教えるわけです。これは、一方から見るとコロンブスによるアメリカ大陸の発見だけども、実はこの日から先住民族の虐殺が始まった。だからこの日はお祭りではなくて、この日から殺された人たちのために私たちは祈りましょうとか、イベントが全部そういう形になるわけです。
この学校が「極左的」なのかというと、まったくそうではないんです。大事なのは多様性を認めること。そうすることで、学校としても、それから個人としても、非常に成績が伸びていくということです。
■オバマさんが支持される理由
ちょっとオバマさんを考えてみましょう。オバマさんは非常に今人気がありますよね。オバマさんはどうして受け入れられるのか。彼を支持している人たちには、とても白人が多いんです。それはなぜか。
彼の発言は、申し訳ないけど、聞いていてすごく「気持ちいい」んですね。
"Yes, we can change."とか、
「おっ!」って、なんか小泉改革のような(笑い)感じがするわけですよ。あの時の、なんて言うんでしょう、高揚感みたいなものがあります。
はっきり言って、今までの歴代の大統領候補の中では抜群にうまいです。でも、彼を支持しているのは圧倒的に白人層です。それはなぜかと言ったら、彼には陰がないんです。
彼が育ったハワイというのは、複合文化社会が最も成功した地域です。そして彼が行っていた高校というのは、まあ日本で言うと慶応みたいな高校なのです。お父さんはケニアから来た留学生、まあ学者ですね。そしてお母さんもそこに行って勉強していて、そこで生まれて、そしてハワイで育ちました。
つまり、傷ついていないのね。ぽよよんとしている。歴史の中で殺りくされ続けてきて、今なお叩かれているアフロアメリカンのような陰が、彼にはないのです。だから、白人は安心できるんです。彼は決して白人を刺すことはないだろう、というふうに思うわけですね。そして彼を支持することによって何が得られるのかというと、自分は人種差別をしない良い人間だ、というような気持ちを持たせてくれるわけです。
つまり、陰がないから安心して使える。安心して支持できる。それがアメリカの今の状態なわけです。
ヒラリーは、その意味で言うと、男性優位社会に対して、ある種、女性としての陰があるわけです。怨念がある。
だから嫌われるわけですね。もし本当にアメリカがチェンジするというのなら、徹底的に差別を糾弾する黒人の最下層の女性を大統領候補にできるかどうか、ということがやはり問われるわけです。
だから、これで何かが変わるというわけではなくて、アメリカ社会の中で、唯一白人に受け入れられる黒人が、今やっと上に出てきたんだな、という感じがします。
■「日本国籍」取得に壁
私の母親は、この前、日本国籍を取得しました。
彼女は、日本国籍を取って一番良かったと思ったのは、外国人登録証を持たなくてよくなったことだ、と言います。あれは、常時携帯義務があります。持っていないと行政罰をくらいます。かつては刑事罰でした。外国籍住民は、これを持っていなかったという理由でよくピックアップされます。だから母は、それがなくなっただけでもほっとした、と言うんですね。
それで、母の場合は国籍取得に約1年かかりました。74歳の母が――母は日本で生まれ、日本で育ち、日本語しか分かりません。かつて朝鮮が日本の植民地だった戦前戦中には日本国籍を持っていました。戦後、日本は在日から国籍を剥奪し、参政権も「当分の間停止」と言いながら、そのまま60何年もたち、今では地方自治に参加する権利すらない中で、外国人として扱われてきているわけです。
私は以前、弁護士に、このままでは仕事がうまく行かないから日本国籍を取った方がいいと勧められました。
確かに、女で、朝鮮人で、会社をやるというのは並大抵のことではありません。日本人の4倍働いても互角にはならない。それで、日本国籍取得のための申請書を取りに行きました。
そこで一番最初に聞かれたのは、財産があるかということです。家・土地を持っているのか。つまり、貧乏人はダメ、日本の税金を使う者はダメなのです。それから、会社をやっているなら、5年間黒字かどうか。今、5年間ずっと黒字の会社があったら見せてほしいと思うわけです。それから、レシートみたいなものを出したんです。何かな、と思っていると、「ああ、あなたはあと3年、申請ができません」って。「えっ、なぜですか」と言うと、「2年前に駐車違反を1件やっています」と言うんですよ。つまり、5年間無事故無違反でないとダメなんですね。それから、一家全員でないといけません。
その上に、当用漢字の中にある字を使って日本人らしい名前を付けてください、と言うんです。そうすると、「辛」も「淑」も「玉」もあるわけです。それで、「じゃ、この『辛淑玉』でお願いします」と言ったら、「だめです」と言うのね。「日本人らしい名前じゃない」って。じゃあ、私の友達の竹内まりやとか安倍譲二(ジョージ)とか、ああいうのは日本人らしい名前なのか、と言ったんです。でも、何か日本人らしい名前を付けてくれと言うので、「分かりました。『シン・スゴ』がだめなら、『カラシ・ヨシタマ』ではどうですか」って聞いたわけです(笑い)。そうしたら、目の前にあった書類を全部パタパタッと閉めて、ガバッと立って、「あなたには良き日本人になろうとする意志が感じられません」と言って、書類をくれないんですよ。つまり申請書類をもらうだけでも、もうとても大変だったわけですね。
そしたら横にいた弁護士が私の頭をパーンとたたいて、「済みません。本当に、この、何も分かっていないんで」と言って、とりあえず書類だけもらって、外に出た瞬間に、私のことを怒鳴ったんです、「あれほど言ったでしょう」って。「どんなことがあっても、お役人に対しては決して逆らわないこと、これがこの社会に生きていくルールです!」とか言われて、こりゃまったく生きていけないな、と思いました。
それが、日本への帰化――「帰化」という言葉自体とても差別的な表現で、これは辺境の蛮族が王家に帰順するという意味なんですね。だから日本国籍の取得というのは、そういう踏み絵をやらせて、最後は公安の調査が入ります。近所への聞き込みが入るんですね。
在日は、9割が日本名で、日本人のふりをして生きています。そこでそんな聞き込みが入ったりしたらたまらないですよね。出自がばれてしまいます。そうすると、どうしても躊躇せざるを得ない状況があるわけです。
■「市民権」取得で歓迎するアメリカ
そんな中、在日3世の友人がアメリカで市民権を取得しました。彼女は子どもの時に、朝鮮人だという理由で地元の子たちからリンチに遭って、これはもうだめだということで、親にアメリカに出されたのです。ある時、親族の葬儀かなんかがあって彼女はいったん日本に戻ってきたのですが、その時に、実は再入国の許可が切れていたんです。
切れていたけれども、学校があるからまたアメリカに行きました。それで彼女は日本での永住権をなくしました。つまり彼女は、日本に帰ってきても3カ月しかいられない、という状態になったわけです。だから彼女はアメリカで生きざるを得なくなったわけです。
その彼女が、2006年11月14日、サンフランシスコで市民権、つまりアメリカの国籍を取得しました。
ことのときは、ものすごく見晴らしのいい場所で、1,327人の新市民が、市民権取得の儀式に参加しました。つまり、セレモニーがあるんです。
ちなみに、アメリカの市民権を取得する人が年間にどれくらいいるのか、2006年のデータで申し上げますと、702,589人。約70万人ですね。だから、いろいろなところでセレモニーがあります。
10時からのスタートなのに、もう9時半から、駐車場も何もみんなお祭り騒ぎになっています。そしてあっちこっちに星条旗が飾られて、歩道のところにはいろいろな旗とかバナーを下げたテーブルが並んでいて、みんなに、市民権を取ったらすぐにこうやってパスポートの申請ができますよ、とか、政党のいろいろなアプローチがあったりとか、それから無料の英語学校の案内とか、出店もたくさん出ています。そしてお祭り騒ぎのような状態の中で、コンサートホールのようなところでセレモニーが始まるわけです。
そのホールのところに行きますと、まず入り口で"Welcome!"(よくいらっしゃいました!)と言われます。中にはターバン姿の人や、サリーの人、チマ・チョゴリを着ている人がいたりします。
それから言語もパンジャリ語とかスペイン語とか、むちゃくちゃに飛び交っているわけです。
そしてセレモニーが始まると、みんなが「ウェルカム」「ウェルカム」という形で迎えてくれます。いろいろな所に国旗が立っています。日本の国旗、韓国の国旗、ベネズエラの国旗、すべての国の国旗が立っていて、その間に星条旗が立っています。そして最初に中学生たちのブラスバンド演奏があり、そしてイスラム教徒の女の子がターバンを巻いた姿で出てきてアメリカの国歌を歌います。そこで満場の拍手が起きます。
そして、その時に、アメリカ政府の代表の人が出てきて、この日の意義を語るわけですね。
これは、彼がしゃべった内容を、私がその場でメモしたものですから、要約になります。
「この会場に1,327人が参加しています。今日新たにアメリカ人となってこの会場を出ていく人たち、どうぞ誇り高いあなたたちの今までの経験、民族の誇り、母国の知識など、すべてを持ってこの国のために貢献し、共に豊かなアメリカの将来を築いていこうではありませんか」。つまり、あなたたちが生きてきた民族や文化、それはとても誇りあるものなのだと、それを生かしてこのアメリカに貢献していただきたい、と言うわけです。
そして、「今日、ここには95カ国から参加しています」、「もし自分の国の名前が言われたら、必ずその人たちは立ってください」と言うわけです。1,000人以上の人たちが、例えば「スイス」と言われたらスイスの人たちが立ち、「ジャパン」と言われたらジャパンの人が立つ。チャイナも言いますけれども、香港も言います。台湾も言います。そうすると、小さなところでは1人立ったり、10人立ったり、或いは500人立ったりします。そして、その一人ひとりの国をみんなが称賛し、それで1時間ぐらいたつわけですね。
そして言うわけです。「この国は移民の国であります。新たな血、文化、体験、それらを持ったあなたたちこそが、今日この愛するUSAを形成しているのです。だから、他文化を真に尊重しなければなりません。大切なこの国の財産だからです。そのために、常に政府は努力しています。例えば今では、選挙登録を管理する選挙管理局では、すべての地域の言葉で対応しています。そういう体制を整えることによって、どんな背景の市民だろうと投票する権利を行使できるように努めています。多様性を重んじる国アメリカでは、家族が共に住めるように、政策もどんどん変わっています。いろんな過程を通じてこの国の市民になることができます。そしてこの多様性こそが、このアメリカの力なのです」と言うんですね。
自分たちの過去を消さずにアメリカのメンバーになっていける。そこに、例えば私はチャイニーズだけれども同時にアメリカンなんだという、受け入れられた所属感というものが出てきます。ところが、この所属感が、日本の社会ではほとんどないんですね。健康な、日本国籍を持った男たち以外の人たちが持ちうる所属感というのが、この社会の中に何かあるのかというと、非常にとぼしい。所属感を求めてアメリカに行った人たち、そして日本から排斥されてアメリカで生きざるを得なかった人たちが、アメリカの市民に、感動を持ってなっていくわけです。
だから、アメリカにはいろいろ課題があるけれども、多様性を受け入れた国というのは、いろいろな意味で国家の成り立ちが強いんだな、という感じがしました。
■在日の歴史、「朝鮮」は国籍ではない
今日は、せっかくですから、在日の歴史を簡単に説明させていただきたいと思います。
よく、「朝鮮人」というのは北朝鮮国籍だというふうに思っている人がいて、びっくりさせられます。北朝鮮国籍というのは、日本には存在しません。
ちょっとこちらをご覧いただきましょう。これは簡単な年表です。朝鮮というのは、日清・日露戦争で日本の草刈場になったところです。そして1905年には保護国とされ、1910年から完全に植民地にされます。
まず、1894年から1910年まで、とりあえず朝鮮は朝鮮のままでした。そして、植民地化が完成した後、朝鮮は日本の領土になります。1945年まで日本の領土ですね。
そして、日本の敗戦と同時に、ソビエトを含む連合国による分割支配が、日本の領土で行われたわけです。分割の境界線は、これは仙台でもよかったし、九州でもよかった。ところが、たまたま朝鮮半島が、日本の領土として分割されました。だから、朝鮮半島は、日本の植民地政策の結果として分断されているわけです。朝鮮人たちが何かをやって分断されたわけではありません。
1945年までは、朝鮮人は皇国臣民であり、そして男の人たちには日本の選挙権はもちろん、被選挙権も、全部ありました。その後、1948年になると、朝鮮半島では米ソがそれぞれの傀儡政権を作っていくわけです。
この時、日本の中には朝鮮半島出身の人たちがたくさんいました。この人たちが、自分たちのことを「朝鮮人」と言おうが「韓国人」と言おうが、日本政府としてはどうでもよかったのです。一山いくらで、すべて外国人として扱って、旧皇国臣民としての権利を奪っていきました。
次に、1965年の日韓条約があります。この時、日韓の国交が成立したことにより、初めて「韓国籍」というものが認められました。つまり、在日の外国人登録証に載っている「朝鮮」という表記は、民族の表記であり、朝鮮半島出身者という意味の表記であって、国籍ではないのです。
ところが、韓国の国籍取得には、膨大な金がかかりました。利権に絡んでいなければ韓国籍は取れなかったのです。私自身が韓国籍を取得しようとした時には、7年かかりました。当時は政治団体が国籍取得の窓口でしたから、団費を一生分持ってこいとか、二十何年分持ってこいとかで、一家で300万円ぐらいかかりました。だから、貧乏人は取り残されていきました。
日本にいた朝鮮人たちの大半は、今の韓国の出身です。韓国の方が、日本との間に航路がありました。済州島も航路がありました。だから当時は、98%ぐらいが済州島と今の韓国の出身でした。
朝鮮半島の北は工業地域で、南は農業地域でした。農業地域は、日本の土地収奪計画の中で土地を取られていくから、農民が大量に流出しました。それで、日本に来たのは今の韓国の出身者が大半なわけです。にもかかわらず、「朝鮮」表記のまま取り残された、ちょっと言葉は悪いですがある種の貧乏人を、北朝鮮支持者というような形で断罪し、そして北朝鮮による拉致の問題が起きると、今なお国籍を取れずにいる人たちに対する暴行事件が、把握できただけでも1カ月に350件という膨大な数に上ったわけです。
今、現実において、在日は、韓国籍を取った人たちと、韓国籍を取れなかった人たち、もしくはある意志を持って取らなかった人たちに分かれています。かつて朝鮮人が抑圧され、たたかれた時に、当時の海部首相が記者とのインタビューで「この事件、どう思いますか」と聞かれて、「僕がいじめたんじゃない」と言いました。バカかこいつは、と思いましたね。あのブッシュでさえ、例えば9・11時件が起きた後、アメリカ国内にいるイスラム教徒の人権は守る、と言ったのです。にもかかわらず、日本の政府には――韓国の政府もそうです――日本国内にいる在日の人権を守る、と言った人は一人もいなかった。
■外国人参政権は克服への第一歩
そんな中、外国人参政権が問題になっています。日本人の場合は、国籍を持っていれば、たとえアメリカにいても海外投票ができます。これは、国政というのはそういうものだからです。でも、彼らには地方参政権はありません。
地方参政権はその地域に住んでいる人たちのものだからです。
そして、旧植民地出身者を何世代にもわたって外国人として扱い、基本的人権を求める権利すら認めず、参政権も何も与えないなどという国は、国際社会の中で日本だけです。このハードルを越えていくことが、たぶん、多様な問題を超えていくための第一歩になるのだろうと思います。
多様性のあるアメリカは、いろいろな差別の問題を抱えて闘っています。闘っていると同時に、そこには所属感があります。日本の社会には、法的にも、社会的にも、所属感がないんです。あなたは、「いや、別に排除してないよ」と言うでしょう。でも、受け入れてもいないわけです。そして、国への所属感がない者たちは内なる敵になっていくというふうに、勝手に思い込むのです。
抑圧されてたたかれた者たちには陰ができます。のほほんと生きてきた人たちには陰がないんです。陰がない者は受け入れられる。でも、たたかれればたたかれるほど陰ができるし、そして排除されていきます。
そんなこんな、アメリカの市民権取得のセレモニーや、さまざまなことを見て、日本に戻って、この社会を一緒に変えていきたいなと思いながら、あっちこっちでまた活動を始めさせていただいています。
ちなみに、うちの母が日本国籍を取る時に、「お宅の娘さんは有名人ですよね」と言われました。そうしたら、うちの母はとっさに、「いいえ!まったく知りません。あの子とは親子の縁も切っています」って(笑い)。「お前と親子だって言われたら、私の帰化申請が下りないから」って、親にまで言われてしまう。でも私自身は、民族心があって言うのではなく、この社会の多様性を維持していくためには、私は朝鮮人の3世として生まれて、3世のままこの国で生きて、幸せだったな、と言える社会にしていくことが、私の、大人としての課題だと思っています。
ただ母は、以前はほんとに毎日緊張していたんですけども、薬を飲まないでも眠れるようになりました。日本国籍を取って、安心したんでしょうね。これはこれで、彼女にとっては良かったと思います。
では、これで終了します。どうもありがとうございました(拍手)。