第203臨時国会で全国会議員に要請 2020年10月26日(2020.10.31更新) |
日本が「道義国家」となるために アジア諸国の人々に与えた戦争被害の調査を求める 第203臨時国会が召集された10月26日、市民会議は衆参両院の全国会議員に戦争被害を公的に調査する恒久平和調査局の設置を要望しました。 第203臨時国会は菅義偉内閣が発足して初めての実質的な国会となるため、改めて戦争被害調査の意義を強調しました。特に菅総理は梶山静六氏を「政治の師」と仰ぐ存在だったことを踏まえて、梶山氏の「政治的遺言」を国会議員の皆さんに紹介し、日本が「道義国家」をめざし、「真の国際国家」となるためには、先の戦争を直視し、日本がアジア諸国の人々に与えた被害を調査し、事実を認めて誠実に謝罪することから始めなくてはならないと訴えました。以下は国会議員の皆さんに配布した要請文です。 【要請文】 国会議員の皆さまへ 2020年10月26日 「戦争は避けなければならない」 梶山静六氏の「政治的遺言」に学ぶ 戦争被害調査会法を実現する市民会議 新型コロナウイルス感染症は終息せず、本日開会される第203回国会(臨時会)においても国民の命と健康を守るため、最優先の課題として取り組まれることを期待するものです。 菅義偉内閣の発足にあたって、最初に思い浮かべたのは梶山静六元官房長官の言葉です。梶山氏は1998年の自民党総裁選挙の立会演説で「どんなことがあってもあの戦争だけは避けなければならない」(7月23日)と述べ、これが「私の政治的遺言」とも発言されました。菅総理は当時の総裁選挙で梶山氏を支持され、「政治の師」と仰がれています。菅総理におかれては梶山氏の「政治的遺言」を守り、不戦・平和に徹していただくことを心より訴えるものです。 ■「戦争被害の公的調査」を国会で 梶山静六氏は自民党総裁選挙に出馬した際、田中眞紀子氏によって「凡人、軍人、変人の争い」の「軍人」と評されました。「軍人」と評されたのは梶山氏が陸軍航空士官学校の出身者であったためですが、立会演説では「かつて戦争中、命をかけても悔いがないという思いで軍籍に身を投じ、敗戦を満州で迎えた人間であります。どんなことがあってもあの戦争だけは避けなければならない、これが私の根幹にあります」と「軍人」らしからぬ「不戦」の意思を明確にしました。 それは戦争で兄を亡くし、母が三日三晩泣き通しだった姿を見たからでした。国家観でも「経済国家」である前に「道義国家」を目指すべきであるとし、日本がアジアの一員として、アジアの人々と苦楽を共にする真の国際国家になるべきとも主張しました。 私たちは、日本が「道義国家」をめざし、「真の国際国家」となるためには、先の戦争を直視し、日本がアジア諸国の人々に与えた被害を調査し、事実を認めて誠実に謝罪することから始めなくてはならないと考えています。 ■国会図書館に「恒久平和調査局」を 戦後75年を過ぎた今日でも、解決していない戦後処理の課題は山積しています。それは日本政府がこれまで戦争被害を公的に調査してこなかったからです。 私たちは戦争被害を公的に調査するのは政府ではなく、国立国会図書館がふさわしいと考えています。国立国会図書館法は前文に「憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される」とあるからです。国会議員の皆様におかれては、国立国会図書館の使命を再認識され、国立国会図書館に恒久平和調査局を設置し、戦争被害を公的に調査していただくことを切に要望いたします。 |
第201通常国会で全国会議員に要請 2020年1月20日 (2020.1.25更新) |
立憲民政党 衆議院議員 斎藤隆夫「反軍演説」から80年 立法府にふさわしい国会に 第201通常国会が召集された1月20日、私たちは立法府としての国会が形骸化していることを懸念し、80年前の立憲民政党の斎藤隆夫衆議院議員の「反軍演説」に思いをはせ、本来の立法府にふさわしい国会になるよう衆参両院議員の皆さんに以下の要請を行いました。 【要請文】 国会議員の皆さまへ 2020年1月20日 立憲民政党 衆議院議員 斎藤隆夫「反軍演説」から80年 立法府にふさわしい国会に 敗戦から75年、2020年を迎えました。昨今、立法府のあり方が問われていると感じます。 かつて戦前の日本は立法府が形骸化し、軍国主義の波に呑み込まれました。その端緒になったのは斎藤隆夫議員の「反軍演説」であり、斎藤議員の除名でした。今年はそれから80年を迎えます。 第201通常国会の開会にあたり、かつての過ちを繰り返すことなく、国民の声を反映する立法府にふさわしい国会になるよう衆参両院議員の皆様に心より訴えます。 ■「戦争被害の公的調査」を国会で 今から80年前、「支那事変」の終息は見通せず、厭戦気分が国民を支配していました。立憲民政党の斎藤隆夫議員は1940年2月2日、衆議院本会議において、「支那事変」を速やかに収拾し、日支間の禍根を無くして、平和回復を求めるのが日本の政治家の責任であると演説しました。世にいう「反軍演説」です。この演説によって斎藤議員は除名され、議席を失いました。その後、「東亜新秩序の建設」が叫ばれ、挙国一致の大政翼賛運動が称揚されることによって政党政治が終焉を迎え、戦争は終息するどころか拡大の一途をたどりました。 私たちは80年前に起こった歴史の事実から、「自由と民主主義」の大切さを学ばなければなりません。日韓間の課題になっている「慰安婦」・「徴用」問題は日本が行った侵略戦争中の不当な使役労働に起因しています。その侵略戦争は軍国主義の台頭と政党政治が終焉し、日本国内で「自由と民主主義」が失われた時期に重なっています。 私たちは東アジアの平和と友好のため、日本が率先してアジア諸国に与えた戦争被害を公的に調査することを要望してきました。戦争中の被害を客観的に調査する恒久平和調査局を立法府に置かれた国立国会図書館に設置することがふさわしいと考えています。 ■国会図書館に「恒久平和調査局」を 国立国会図書館法は前文に「憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される」と記載しています。国会議員の皆様におかれては、国立国会図書館の使命を再認識し、かつての戦争被害を公的に調査する恒久平和調査局を国会図書館に設置して世界平和に寄与されるよう要望いたします。 |