西川重則さんを悼む
   
「敵をつくらず、敵を味方にする」
   
                            
2020年7月31日                
戦争被害調査会法を実現する市民会議 


■活動の先頭にいた西川重則さん


日本によるアジア諸国の人々への戦争被害の調査を求めた「戦争被害調査会法を実現する市民会議」(以下 調査会法市民会議)の代表である西川重則さんが7月23日に逝去されました。

「調査会法市民会議」の発足以来、20年を超える活動の先頭に西川重則さんは立っていました。
西川さんは2018年に「調査会法」が国会で成立しなかったことを振り返って以下のように述べています。

「私たちの場合、国会を動かし、法的に調査会法が成立しなかったことを残念に思っていることは否定できません。
 率直に言って、調査会法の国会での成立を願っていた私たちが当時の国会の状況を始め、一般市民も、日本が戦争を始めて、中国や韓国に重大な悪影響を及ぼし、戦後73年になる今日において、なおも侵略・加害の歴史的事実について多くの日本人はその実態を知ることなく、アジアの国々・人々と真の意味で平和思想に基づく和解の関係になっていない要因について十分に事柄の本質を学び得る機会を与えられていないのはなぜなのか。その要因として、私たちが真剣に考え、調査会法の成立を願った思いを知らせることができなかったこと、その要因を別の面から考えた場合、政府・国会においてと同様に、長期にわたって日本が行なった侵略・加害の歴史的事実の要因として、国側の立場で、今もなお公的調査会法の成立の歴史的意味・重要さを認識することのない現状・戦後史の実態の存在を指摘しなければなりません。
 私の研究テーマのひとつである天皇制の問題として、1932年1月8日の『昭和天皇』の勅語の中に、日本の戦争を『自衛戦争』と考え、侵略・加害戦争の歴史的責任を無視した天皇の軍隊と位置づけ、評価した一文と思われる天皇の勅語がその後の戦争にも大きな影響を及ぼしたと言うべきでありましょう」

西川さんは日本人がかつての日本の戦争を『自衛戦争』と思い込んできた原因は戦争を評価した「天皇の勅語」に原因があると指摘していました。

確かに昭和天皇は1932年1月8日の「満州事変ニ際シ関東軍ニ賜ハリタル勅語」に、「満州に於て 事変の勃発するや 自衛の必要上 関東軍の将兵は果断神速 寡克く衆を制し」と述べ、満州事変の勃発を「自衛の必要上」と述べていたし、1941年12月8日の詔書においても、「東亜安定に関する帝国積年の努力は悉く水泡に帰し 帝国の存立 亦正に危殆に瀕セリ 事既に此に至る帝国は今や自存自衞の為 蹶然起つて一切の障礙を破碎するの外なきなり」と述べて、米英への宣戦布告は日本の「自存自衛の為」であることを挙げていました。

このことが日本人を呪縛していると西川さんは考えていたのであろうと思われます。

西川さんは「調査会法市民会議」の発足にあたって、この呪縛を解くように「調査会法」は党派を超えて、超党派で実現することに意味があり、運動の在り方は「一人一人が自覚をしましょう。敵をつくることはやめ、敵を味方にする。味方を敵にするような愚かなことをやめましょう」と訴えました。

「調査会法市民会議」は西川さんの「敵をつくらず、敵を味方にする」という考えのもとにあらゆる人々を説得することを続けてきました。西川さん亡き後も西川さんの運動哲学を踏襲していくことになるでしょう。

■平和をつくる者は幸いです

また、西川さんは「戦争は国会から始まる」が口癖でした。
20年間の国会傍聴は日本国憲法が改悪されてしまいかねない現状からやむにやまれぬ選択だったに違いないと思われます。

西川さんの著書『わたしたちの憲法 前文から第103条まで』(いのちのことば社 2005年10月15日発行)は「平和をつくる者は幸いです」(「マタイの福音書五・九」新改訳聖書第三版)で締めくくられています。
「マタイの福音書五・九」はさらに「彼らは神の子と呼ばれる」と続きます。
このように西川重則さんはまさに平和をつくるために「神の子」として一生を過ごしたと言えるでしょう。

西川さんをいつも講演用の書籍が入った重い黒いバッグを持ち歩いていました。西川さんを知る人は皆さん、その姿を思い浮かべるでしょう。 
終生活動をともにされ、今年3月に召天された渡辺信夫牧師とともに安らかな眠りをお祈り申し上げます。



西川重則(にしかわ しげのり) 日本キリスト改革派 東京教会 名誉長老・「平和遺族会全国連絡会」代表・「戦争被害調査会法を実現する市民会議」代表
1927年8月27日、香川県生まれ。2020年7月23日、静岡県熱海市の「熱海温泉すみれ」で老衰のため92歳で死去。1969年、靖国神社法案が国会に提出されたのを契機に同法案に反対する「キリスト者遺族の会」を発足、反対運動を展開した結果、同法は74年に廃案。1990年、憲法の政教分離原則に立って、政府による即位の礼・大嘗祭の問題点を国会で指摘。1997年、戦争被害調査会法を実現する市民会議の発足で共同代表に就任。1999年、国旗・国歌法を機に、国会傍聴を2019年まで続けた。著書に『「昭和館」ものがたり』『「新遊就館」ものがたり』『わたしたちの憲法 前文から第103条まで』(いのちのことば社)など多数。